神明神社の歴史

神明神社
篠島のほぼ中心にある神明神社は、倭姫命が尾張中島宮から海路渥美宮に
渡航の途中、篠島に立ち寄りこの地を御神界と定められました。
宝亀二年(771年)には、伊勢神宮より土之宮を勧請し伊勢土之宮と称されました。
土之宮を勧請してからは、伊勢神宮に参拝する者は「宮巡り」と称して、篠島に渡り必ず伊勢土之宮に参拝する慣わしとなりました。悪天候などにより篠島に渡れない場合は伊勢市の二見浦にある遥拝所より篠島に向かい土之宮を拝したと伝えられています。
後に神明宮と改称され、さらに明治中期より神明社、昭和20年代に神明神社とされ、現在に至っています。交通安全、海上安全の神様として島民はもちろんのこと島外の方にも信仰されています。
伊勢神宮の20年ごとの御遷宮時に伊勢神宮の一社として篠島の神明神社も遷宮を
繰り返して来ました。

 

 

伝統を受け継ぐ行事

新年の三日、「オジンジキサマ」と呼ばれる八王子社の神が神明神社にお渡りになります。この神事の間は島中の電気が消され、決して見てはならない、オジンジキサマを見ると目が見えなくなってしまうという言い伝えがあるのが篠島大名行列です。
島民は家から出ることなく、すべての灯りを落としお渡りさまの終了を待ちます。
八王子社の神が神明神社に無事お渡りを終えると太鼓が響き渡り、家から人々が我先にと、神明神社へと参拝へ向かいます。
島民が先を競うのは、参拝が早ければ早いほど御利益があると伝えられているからです。
古来より正月三日が島の初詣となります。明けて四日、大名行列と呼ばれる華やかなお祭りの中、八王子社の神はお帰りになります。